ナガオカマサヤの7:3:1

日々のこと:まじめな話:好き勝手

父の声

f:id:MN_FragArah:20180817002449j:plain

今年はこのお盆の時期まるっと一週間、休暇を取った。

本当に何年ぶりだろう。ほんと入社一年目以来じゃないかってぐらい

久しぶりだった。

街は人ごみばかり、観光地もレジャー施設もどこもかしこも賑わっているってレベルじゃねーなマジで人多すぎ。なんなのなんであんな人いるののが日本のお盆。

 

今年はそんなお盆に休みを取ったのには理由があって。

 

といってもただ帰省をする為なんだけれども。

しかも今年は二日間で付き合っている彼女の実家に3度目のお邪魔をしてからその足で自分の実家に連れていくという、中々な強行スケジュールを果たすというミッションが課せられていた。

 

いや、違うんすよ。

全然彼女の実家にお邪魔するのは苦なんかじゃなくて。

むしろお邪魔したくてずっと楽しみにしてた。

僕は福島県西郷村っていう

「日本で唯一、新幹線が止まる村」とは名ばかりの

駅前のコンビニでさえ潰れるくらいの田舎なんだけれども

彼女は同じ福島でも会津地方の出身で、のどかでけれども「鶴ヶ城」や「塔のへつり」などの観光名所が多い田舎とても魅力的な場所が地元だったりするわけで

何より彼女のお母さんの手料理がこれまた美味しかったりしたりしたりするわけで

とても楽しみにしておりました。

ただね、「兄も同タイミングで彼女を連れていくとのこと=母親×兄彼女×弟彼女の三つ巴がとうとう実現する」っていう事案がね、発生することが判明しまして。

いや、うん。

大した話じゃないのかもしれないんだけど、「いや、その科学反応どうなるか学校で習ってませーん」っていう話でして。

結婚したらそういう事象がもちろんごく自然に起きることだし。

なんつーか「こういう時がとうとう来たか」みたいなね。笑

なんかね。ソワソワするというか。

 

彼女の実家はめちゃくちゃ楽しかった。

ビール3缶ほどで睡魔に襲われて、頬杖かきながら意識ぶっ飛んでしまいご家族に心配された以外は楽しかった。

涼しかったしとても過ごしやすかった。

 

そしてMY実家。

まさかの母親が近年、いや今まで見たことないぐらい気遣ってて可笑しいやら感謝やらでとても楽しい時間を過ごせた。

うちは男三人の三兄弟で母親以外全員男っていう環境だったから、

だから家族・親戚以外で母親が女性2人とも絡む状況が想像できなかった。

 

けどそんなのは杞憂で母親の笑い声をたくさん聞けた。

女性陣たちの笑顔をたくさん見られた。

変な言い方になるかも知れないけど

「うちの家族と家族じゃない人が自分の家で声をあげて笑っている」

そんな状況が少しこそばゆくて、けれど嬉しくて。

だから連れてって良かったと思ってる。

 

みんなで夕食を待つ間、母親が兄に言った。

「あれを皆んなで観ましょうよ」

どこから引っ張り出してきたのか

ビデオカメラをテレビに繋ぎ始めた。

 

「何?何を見るん?」

「あんたの七五三の時のを見つけてね。いい機会だから皆んなで観ましょうよ」

「おい。マジでやめろ。やめてくれ」

と言ったのも虚しく古びた映像が42型テレビの大画面に映し出された。

 

サイズが合っていない晴れ着姿のアホ面の幼き自分がそこには映し出されていて

場は大いに盛り上がった。(写真撮られながら俺めっちゃ鼻くそほじくってた)

 

そんな公開処刑をされている動画を観ながら笑い声が上がっているその場を他所に

自分は静かに映像に見入っていた。

ふと考えてた。

「あれ?これ誰が撮ってるんだっけ?」

映像には自由に走り回る兄弟三人を叱りつける母親が映ってる。

母親がカメラに近づいてきて、カメラの持ち手を代わった。

映像には、9年前に死んだ父親が映ってた。

父親が笑ってた。というか動いてた。

僕の、兄の、そして弟の頭をわしわし撫でている姿が映ってた。

 

父の動いている姿を9年ぶりに見た。

その瞬間、本当に一瞬でね、

頭の奥〜〜〜にあった父親の思い出がどんどん溢れてきたんよね。

やばいやばい。

なんだよなんだよ、残ってんじゃん。まだいっぱい残ってたよとーちゃんの記憶。あぶねー、って。

あったあった部活の試合の後、駄目出しされてキレて壁殴って穴空けたわ、とか。

うろ覚えだった記憶が鮮明になるっていうか、なんだろ。

記憶にある映像に「色」がついていくていうか。

 

本当に一瞬だった。一瞬で思い出した。

すごいね「記憶」って。

ちゃんと観よう、そして出来るだけ覚えていよう。そう思ってまた画面に目をやった。ちょっとしたら、映像の中の父親が喋った。

「おーい!もどってこーい!」

「何やってんだよ、ったく」

たった二言。遠くでふざけあってる僕と弟に向けて発した言葉だった。

「えっ??」

その瞬間その場にいた全員が顔を見合わせた。

「声二人に似てない!?!?」

兄の彼女が言った。

僕は兄の声にそっくりだと思った。

兄は「いや、将矢(僕)に似てる!」と言った。

僕と兄以外の皆んなが僕たち兄弟に似ていると言った。

けど顔を見合わせた時そのことを言いたいんじゃなかった。おそらく兄も。

もしかしたら母もそうだったかもしれない。

多分一緒だと思う。

「喋った」

そう言いたかったにちがいないと思う。

 

 

僕も多分兄も、父親の声を思い出せなくなっていたんだと思う。

声だけじゃない。少しメタボな腹も、太く筋肉質な腕の感触も思い出せなかった。

 

だからビデオに収められていた映像の中で父親が発したこの二言で、

俺たち兄弟三人をぎゅっと抱きしめて写真を撮られる映像を見て

確かに「父親」の存在を感じた。

 

「忘れてはいけない。忘れてしまったらその人は"本当に死んでしまう"」

何で見た言葉だろう。漫画だっただろうか。

そんな言葉を思い出した。

 

「故人を偲ぶ」ことが供養になるって昔の人は言ったらしい。

それが本当なのだとしたら僕はこの夏、今だからこそできる「親孝行」みたいなものを父親にできたのかもしれない。

うん、そう思うことにしよう。

 

 

死んだ父親にまた会えた。

お盆ってすげぇ。笑

 

 

 

 

そんな平成最後の夏。